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私のフライト履歴 MD11

最近、話題となった機材ではMD-11がありますが、その個人の利用歴を振り返ってみましたので、お伝えします。

MD-11とは

小生より説明が上手なAIによるMD-11の説明です。

MD-11(エムディー・イレブン)は、アメリカのマクドネル・ダグラス社が開発した3発ジェットの大型ワイドボディ旅客機で、DC-10の後継機として1986年に開発が開始され、1990年に初飛行、同年12月にフィンエアーが初就航しました。

機体はDC-10より約5.7メートル延長され、翼端にウィングレットを装備し、最新のグラスコックピットや自動操縦システムを導入するなど、燃費と操縦効率の向上を図った設計が特徴です。座席数はおよそ250~300席、航続距離は約1万kmとされ、中長距離国際線向けに投入されました。

しかし、実際の燃費性能が当初の公表値を下回り、経済性でボーイング777やエアバスA340に劣ったため、多くの航空会社が導入を控え、生産数は200機余りにとどまりました。2000年にボーイング社に統合された後、生産は2001年で終了しています。旅客型はすでに退役が進んでいますが、構造の堅牢さと積載量の多さから貨物型MD-11Fが多く改修・運用され、現在もFedExやUPSなどの貨物航空会社で現役として世界中を飛び続けています。

旅客機としては1990年代から2000年代に活躍した機材であり、エアバスのワイドボディ機が台頭する前にボーイングとは違うワイドボディ機として活躍した機材であります。AIの説明のようにフィンエアーが旅客機としては最初のカスタマーのようであります。海外ではアメリカン航空や当時のスイス航空(現スイスインターナショナルエアラインズ/LX)が利用しており、日本では日本航空が利用していました。JALはDC-10から利用しており、そのつながりで利用していたと思われます。

JALと経営統合した日本エアシステムではMD-11の利用は有りませんが、同社のMD-81を利用していたりします。

現在はかなり古い機材ではありますが、先述のとおり、堅牢で積載量が大きいため、貨物機に転用されて利用されており、ネット通販台頭の北米では重宝されているようです。

MD-11はワイドボディ機であり、当時としてはB767よりも大きな機材であり、エンジン3発機として航続距離もあり、DC-10から当時としては先進的な近代化をしたこともあり、ハイテク機の印象もありました。

ただ、その独特なフォルムもあってか、運用されている数の割には事故が多い機材でもありました。現在のA320シリーズと比較するとはるかに率として高いようにも見えます。

マクドネル・ダクラス社はアメリカの会社であり、マクドネル社とダグラス社が合併してできた会社であります。後にボーイングに吸収されてしまいますが。舌を噛みそうな名称であり、俳優のマイケル・ダグラスと関係があるのかと昔は思っていました。

参照 マクドネル・ダクラスとは

マクドネル・ダグラス(McDonnell Douglas)は、かつて存在したアメリカの航空機メーカーで、1967年にマクドネル社とダグラス社が合併して誕生しました。本社はミズーリ州セントルイスにあり、民間航空機と軍用機の両方を手がけました。民間機ではDC-8、DC-9、DC-10、MD-80、MD-11などの「DC」や「MD」シリーズが有名で、日本航空や全日空でも広く使用されました。軍用機ではF-4ファントムIIやF-15イーグルなど、世界各国で採用された名機を多数生み出しました。しかし1990年代に入ると、商用機部門の競争激化や経営難により業績が低迷し、1997年にボーイング社に吸収合併されました。現在「マクドネル・ダグラス」という社名は消えましたが、その技術と設計思想はボーイング機や戦闘機の開発に受け継がれています。

私のフライト履歴 MD11

18歳で初めて飛行機に乗り数十年たちますが、その中でMD11の利用歴を調べてみました。利用した時代はMD11全盛期のミレニアム(21世紀なりたて)の時代でした。

筆おろしはアメリカン航空

南米の夜明け

最初に搭乗したのは2001年のゴールデンウィークであり、アメリカン航空でした。ダラス・フォートワースからチリのサンチャゴまでの夜行便でした。初めての南米でもありました。

成田を夕方にトリプルセブンで離陸し、ダラスには午前中に到着です。当時のアメリカでは、条件はありますが、入国しなくても乗り継ぎが出来た時代であり、自販機しかない狭いところで過ごすのと引き換えにビザが不要でした。アジア諸国では重宝したと思われます。

ただ、アラスカの次の州のような日本なので、当時はESTAもなく、 I-94Wで入国できたので入国して、暇つぶしに交通システムを乗ってDFWの各ターミナルを巡っていた記憶があります。フライト前にトイレで下着を着替えた記憶もあります。

そして、サンチャゴまでのフライトは夜行便でしたが、結構ガラガラであり、バルクヘッド席で快適だった記憶があります。まあ、AAのプラチナであったこともあるかもしれませんが。

グーグルドライブ破損で過去の写真は少なくなってしまいましたが、上のように、MD11の独特なウィングレットの写真が残っていました。

スイス航空

同じ年にアフリカ筆おろしでトルコ経由でエジプトに行った帰路にチューリッヒまで行き、そこから成田までの帰路にMD11を利用しました。この時もアメリカン航空のマイレージ特典としてJL便扱いでTKとSRを発券していました。今となっては、いずれもスターアライアンスなので驚きであります。

写真はPVGかNRTで後に撮ったものなのでLX化されていたと思われます。一応実家にはZRHの展望台から撮影したMD11の離陸の様子を撮影したものが印画紙にあります。かなりボロボロですが。この頃は飛行機旅と言うよりは海外に行くことに夢中だった時代です。

フィンエアー

そして、最後に搭乗したのがフィンエアー(当時はフィンランド航空)でのヘルシンキ往復であります。2001年と2002年の年跨ぎにヘルシンキに行った記憶があります。

正月のヘルシンキは極寒であり、氷点下40度ぐらいであり、外を歩くと2分でもう耐えられないくらいでした。ロシア行きのフェリー埠頭が流氷のような感じが印象的でした。

さて、MD11はこちらもアメリカン航空の特典で利用でしたが、この時は最初で最後のエグゼクティブ・プラチナという階級でしたので、往復ともにバルクヘッドでパンター空港のラウンジを利用した記憶もわずかながらありました。

このあとはAMC・スターアライアンスに転向しました。この頃は飛行機の写真を積極的でなかったために現物がないのが今となっては残念ですが、生き様は感じます。

MD機の他のフライト履歴

さて、MD11は以上のように4回搭乗しておりますが、それ以外のMDの利用履歴も確認してみました。

すると6回ありました。以下のとおりです。いずれもMD81か82でした。

SEA→ SJC
SJC →LAS
MIA→LGA
BUF→ORD
HND→KIJ
HND→KIJ

ワンワールドマイレージ修行の時代が濃厚であり、西海岸の都市間フライトが如実であります。まあ、マイアミからラガーディアまでのフライトも結構印象的でした。

国内線はJDと統合後のJAL便であり、新潟で近年に起きた大地震の時に新幹線が不通になった際のそれぞれ臨時便であり、今となっては貴重な経験でした。

最後に

今回は昔の振り返りとつまらないのですが、整理してみました。MD11は当時、ハイテク機であり、レアな存在なので乗ることにとても興味がありました。と言う事で見れミアム時期に一気に搭乗したのですが、今となっては良い経験でした。まあ、乗っているとあまりボーイング機とかと変わらないですが。

飛行機としてはなかなか特徴的なフォルムであり、魅力でしたが、操縦する人にとっては難しい機材だったようで、事故も多い機材でもあります。

現在は貨物機としての存在感があり、もしかしたらアマゾンから届く品もどこかでMD11を経由しているのかもしれません。

A350やB787と比較するとそれは時代の差はありますが、当時としてはエッジの効いたハイテク機だったのかもしれません。涙くんサヨナラ。

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