
新東京国際空港として設立された成田国際空港(NRT)でありますが、その必要性を考えてみました。むじかしいですね。
成田国際空港とは

GPTでは以下のとおりです。
成田国際空港(Narita International Airport)は、千葉県成田市に位置する日本の主要な国際空港です。1978年に開港し、東京国際空港(羽田空港)と並ぶ重要な空港として、日本の国際航空交通のハブ機能を果たしています。空港は第1、第2、第3の3つのターミナルで構成されており、第1ターミナルはスカイチームおよびスターアライアンス、第2ターミナルはワンワールド、第3ターミナルは格安航空会社(LCC)が主に使用しています。
成田空港へのアクセスは非常に便利で、JR東日本の成田エクスプレス(N'EX)や京成電鉄のスカイライナーなどの直通列車、空港リムジンバス、高速バス、自動車(東関東自動車道経由)などが利用可能です。空港内にはショッピングモール、レストラン、ラウンジ、ビジネスセンターなど、多様な施設が充実しており、旅行者の利便性と快適さを追求したサービスが提供されています。
成田空港は2004年に「新東京国際空港」から現在の名称に変更され、開港以来、継続的に施設の改善と拡張が行われています。将来的な需要増加に対応するため、第3滑走路の建設やターミナルのリニューアルなどの計画が進行中です。これにより、さらに多くの航空便を受け入れ、利用者の快適さと利便性を向上させることが期待されています。
高嶋政伸のような毒の無い解説がGPTは得意のようです。
設立の経緯
当時の運輸省(現国土交通省)は年々増大する航空需要を背景に、国際線の主力空港である羽田空港が1970年頃には限界に達すると予測していたようです。1961年からその対応策の検討を開始しており、現在のように、羽田空港の再拡張を検討したものの、沖合に拡張した場合、東京湾の港湾計画との調整が極めて難しく、当時の港湾土木技術では難工事となることが予想していました。(現在からみるとD滑走路で課題解決していますが)
また、当時の予測では、拡張できたとしても空港の処理能力は20~30%程度の増加にとどまり、長期的な航空輸送需要には対応できないことなどもありました。
こうした中で、新空港の候補地が絞られていきます。候補地としては、現在の成田空港のある富里町(当時)と霞ケ浦付近が候補であり、本命は富里であったようですが、空港建設反対にとなり、その地形を諦められないのか、成田市三里塚付近が、航空管制、気象条件などの諸条件面で富里と差異がない、との結論に至り、ここからは闘争などの紆余曲折を経て、新東京国際空港・開港まで色々とありますが、開港が進んでいきます。
今にして感じるのは、霞ケ浦付近にできると常磐線・支線で空港ダイレクトアクセスができ、東京までは21世紀のスカイライナーができる以前でも都心へも早かったかもしれません。
成田新幹線論もなく、意外と進んだかもしれません。まあ、1978年と言うと東北新幹線もないので、常磐線の線路容量とかもあり、空港アクセス特急と東北からの特急のさばきが大変だったかもしれませんが。
アクセス鉄道の迷走

空港=フライト数ではなく、離発着の乗客と地上交通の接続をどのように裁くかがカギであります。日本の玄関口となる国際空港となると20世紀中盤以降とは言え、都心までの大量輸送が鍵となります。
そのため、1969年の成功の新幹線を成田空港から東京駅まで敷設することを検討しますが、沿線住民の反対にあって、一部区間は着工したものの、凍結となってしまいます。今となっては埼京線や埼玉新都市交通ニューシャトルのように並行して走る在来線を勢いで建設してしまえば、埼玉と千葉の格差は少なかったかもしれません。
そして、新幹線が凍結されて路線に活路を見出したのが、東京都・元知事である石原慎太郎であります。
運輸大臣時代に造りかけた成田新幹線の残骸を活用して空港ターミナルに直結するアクセス線を進めた人物であります。結果として、1991年3月19日に空港ターミナル直下に鉄道駅を開業しています。
石原慎太郎と言うと石原裕次郎の兄であり、東京都都知事としての認識が強いてのですが、都政での実績と言うとペットボトルに詰めた粉塵と言うイメージが強いのですが、国政レベルでは意外にも成田エクスプレスを導いた人と言う事であります。
国政と言うか同じく、千葉に強大なインフラを引っ張った人と言うとアクアラインのハマコーでしょう。悪党党幹事長で事情があって大臣になれなくても子供に選挙区基盤を継承しているところであります。
やはり、政治家は何か残さないと有権者からは家系は許されないのかもしれません。慎太郎の長男の伸晃氏は選挙運動中に「何もやってないじゃねぇーか」と言われ、落選していますし、世襲ではないものの、20年も近く参議院議員をしていた元・野党代表も同じような感じでただの人となっています。政治家も歳費でウハウハ安泰ではなく、何か残さないと、当然ではありますが、有権者が離れていくこととなります。
以上のよう、成田新幹線の造りかけを活用して、早々に空港直結を実現化して、21世紀になると都心まで40分弱でアクセスできるようにしたのは迷走はあったものの、慎太郎の英断があったと言えます。
羽田空港のプレゼンスアップと逼迫

成田=国際腺腔、ただ、遠い、利用しにくいとイメージがあった空港でありますが。ターミナル直下に鉄道が乗り入れ、国際線としてのプレゼンスは固めていきますが、それも2002年の日韓ワールドカップぐらいから崩れていきます。
羽田とソウル金浦空港の国際線ぐらいから羽田の国際線が台頭していきます。その当時は国際線ターミナルと言ってもプレハブで厳しいターミナルでしたが、その後は国際線ターミナルが建設され、正式に国際線拡張していきます。
まあ、安倍内閣時に強く勧めたところもあり、実利的には便利であります。南紀白浜空港とかも羽田国際線と乗り継ぎが出来ますから。
鉄道アクセスも国際線ターミナル(現 第三ターミナル)へのアクセスも充実して現実にいたり、成田空港不要論も出てくるくらいであります。
ここまでくると、羽田は東京都心から近く、国際線も世界各地にあるとなると成田は不要とも言えます。
以上のように、フライト利用者はHNDでありますが、それで良いのか思います。海外からのアクセスでは人もそうですが、荷物もあり、羽田はもともと47都道府県から1億以上の人口を有する国の国内線もカバーしているので何かあると大変になるのはアキレス腱を抱えているとも言えます。
東海道新幹線との関係
そうした中で、起きたのが2024.7.22の東海道新幹線の不通であります。原因としては、営業時間外に行っていた線路保守の車両が予想外の事故を起こし、その回復に始発に間に合わないどころか、東海道新幹線をほぼ丸一日、運休させてしまったと言う顛末です。
東海道新幹線において、まる一日利用できないと言うのはほぼない事象であり、同社も錯綜していたのか駅に来ないでくださいと言うメッセージを出していました。現実を考えるとそうなのですが、無責任にもほどがあると言えるコメントとも言えます、
ただ、東海道新幹線の需要はベルトコンベアと言うかリフトで行列の乗客をさばくようなものであり、それが崩れると駅に近寄らないと言うのが言うとおり、最適解と言えます。実際に浜松や名古屋、東京駅ではそうであり、日本のインフラの限界を感じます。
そのためにリニアを作っていますが、現実味の無い人が反対したり現在に至っています。この先、企業内でのエラーや天災による長期的な不通も考えられるので、この辺りは早期に解決策とその実行が必要そうです。
国際線もあるけど、国内線のバックアップ

先述のとおり、日本の東名阪というのは東海道新幹線があっての人流がカバーできてる路線と言えます。それが新幹線が不通になるとおおばな需給バランスが崩れます。フライトにおいてカバーすると言えども、羽田は国内線・国際線ともに通常でもパツパツであり、さらにフライトを割り込んで追加と言うのはなかなか厳しいところであります。
実際に、今回の事象で追加フライトはANAとJALでも2往復に限定されるのがそれを示しています。
ただ、これが成田となるとその可能性は高くなりそうです。日系の各グループの機材をフル活用すれば、羽田発着の臨時便よりも便数は飛べそうであり、その最適解を会社を跨いでシミュレーションしておけば、国難は避けられるかもしれません。
ジェットスター、ピーチ、JAL、ANAなど入り乱れながらも15分おきの大阪(関西・伊丹・神戸)に飛ぶかは不明ですが、国家レベルのバックアップの一つはできそうであります。
まあ、そうはいっても東海道新幹線の需要を大体はできないので北陸新幹線や東名阪高速のバスの緊急モードとかも構築は必要そうです。
最後に
先日、起きた新幹線の自滅障害の影響で代替ルートを考えてみました。そうすると成田空港の必要性が出てきます。成田空港は現在は国際線と国内線LCCの空港であり、キャパてきには羽田を含む空港であります、今回のような鉄路がエラーとなる場合も成田路線がバックアップできるとかなり有望であり、プレゼンスもアップできます。何とか、成田の活用方法をもう少し、考えて欲しいところです。