羽田空港での衝突事故について感じたことをまとめてみました。
フライトの概要
JAL516便は新千歳から羽田までのフライトであり、予定では15:50にゲートを離れ、16:00には離陸する予定でしたが、新千歳でのゲートを離れるのが25分、離陸は27分ほど遅れて出発しています。遅れてはいますが、幹線ルートの繁忙ルートではよくあることであり、この時間を無理に詰めるという事もあまりあり得ない状況であります。この日は正月真っ最中ですが、3日のチケットを取れない人が第2希望として選択するフライトでもあり、かなりの乗客がいたのは報道の通りであります。
羽田着陸は17:46と実際の着陸時間には31分ほど遅れていますが、この間に管制官とも順番や着陸滑走路等についてやりとりは想定されており、不思議なところはありません。まして、機材については安全飛行に関する致命的な故障等も現報道では発表されていないので、緊急着陸もないところでした。
一方で、海上保安機は前日に起きた能登地震への救援物資を輸送するために新潟へのフライトのためにC滑走路からの離陸でありました。
国務機はよくわかりませんが、実感として民間機のC滑走路の離陸は北日本や北陸に飛ぶフライトが多く、34R(南側)から北方向に向かって飛んでいく合間にこれまた北海道・東北方面から飛んできた民間機が34R側から着陸するケースはよくあります。そのため、滑走路侵入手前でよく待たされ、ANA便では着陸機が着地して誘導路に入った断面で、機内チャイムが4回鳴動した後に皆様離陸しますというアナウンスがあり、滑走路に侵入後にエンジンを唸らして離陸したりします。
と言う事で事故の両者のフライトについては停止位置など間違っていなければ、常軌を逸する異常があったと言うことでもありません。
衝突箇所が大きく事故に影響したのか
しかし、暮れなずむ夕刻にニュース速報が流れます。去年の前に阪神が日本一になった年も夕刻にニュース速報が流れた記憶が呼び覚まされます。民放は正月版組でしたが、NHKは震災報道から切り替えて羽田空港の中継をしていました。
羽田T2に設置したカメラの映像や緊急停止というか、接触後に止まるべくして止まった場所のライブ映像をみていると17:50分ぐらいはL1のドアが開いており、乗員・乗客らしき人は既になく、消防車や消防隊の消火活動が見えており、逃げ切ったかと思いつつも、機内後方部からは火の手が上がりつつも、飛行機の小さな窓からは人の動く映像はないのでフェリーフライトかと思いつつも、その後、Uターン客がかなり搭乗していたのJAL516便とわかるとゾッとします。その後も消防隊も火消しに専念している一方で火の手は強くなります。
また、JAL516便の着陸後の映像からすると機体前方のランディングギア(着陸時にタイヤがついたもの)は折れているもの、後方のランディングギアはそのままであり、ライブ映像を見る限り左側のエンジンは大きな爆発もしていないようでした。当初のニュース速報ではJAL機エンジン爆発ということもあり、右側のエンジンが前方のランディングギアに接触損傷後に、海保機が右側に持って行かれてJAL機エンジンに接触して爆発炎上かと思いました。
しかし、その後のSNS投稿ではR1から脱出している映像ではエンジンはあったので、そうでもないので、推察の域は超えませんが、海保機が滑走路に侵入して停止または低速で移動している時にJAL機の着陸(既に機体中心部のランディングギアは着地している状態)中に、JAL機の前方ランディングギアと海保機の機体もしくは垂直尾翼が接触し、エンジン燃焼中の双方に着火したと言えます。
コックピットの前のノーズ部分も潰れていましたが、前方のランディングギアがなくなった後に滑走路を逸脱した際の衝撃でできたのか不明です。海保機とまともにノーズがぶつかっていると双方、同じ体勢は維持できずに横転や転覆したことも想像されます。
また、コックピットからの制動を失うこととなり、その後脱出にも大きく影響していたといえます。
JAL機は時速250km/h以上での着陸となり、お互いのボディ本体部分以外の接触とはいえ、衝撃力は大きいので大事故となっています。一方でJAL機の前に進むエネルギーが強いため、そのまま接触点から爆発しやすい箇所に飛び火する前にすり抜けたことで大きな爆発炎上が回避された風にも映像からは見えます。
一方で海保機は離陸に向けて低速で移動していた、または停止していたのか不明ですが、加速を遮るエネルギーが加わりほぼ同一地点にてそのまま爆発炎上したと言えます。機材が小さかったが故にJAL機の下をそのまま潜り抜けて静止していたのもJAL機側にとっての奇跡に繋がったのかもしれません。
そして、JAL機は最終的にC滑走路の海側に逸脱して停止しています。これはコックピットで意図的にそうしたのか、偶然にそうなったのか不明ですが、これも奇跡へとつながる要因だったかもしれません。
反対の第2ターミナル側に逸脱していると沖留めしているANA機に衝突してさらなる爆発炎上があったかもしれません。
また、A350-900という最新機材の剛性も寄与したのかとも推察できます。タキシング中同士の飛行機の衝突は別として、一方が離発着または双方ともに航行中に空中で衝突した場合、ものすごいエネルギーであり、いずれも大破してしまうことは想像できるところであります。今回は胴体自体は停止するまでほぼ原型を留めていました。
もし仮に、炎上は回避できて、停止したとしても胴体がジグザクに折れ曲がり、機内では重傷で動けない乗客が多数発生し、しかも通路も歩けない状態になっているとクルーも困惑して、パニックになり、その間に時間が経過して火の手が回ってしまったことも想定されます。
奇跡的にも胴体は原型を留めており、動けないような重症者がいなかったことで日頃の訓練に近い状態で乗客を最後まで脱出させるという冷静な判断と意志が働いたとも言えます。この辺りもA350-900の胴体の剛性が強かったのか特定はできていませんが、奇跡というワードが飛び交う要因かもしれません。
ランディングギアが事前に出せない等がわかっている覚悟の緊急着陸と違って、予期せぬ接触がいきなり来た中で10数秒で避難決定をさせるのはやはり相当厳しいと言えますが、奇跡と奇跡が重なったのかもしれません。
神様も日本で新年から2日続けて大惨事が起きるとこの国は滅びると何か手を差し伸べたくらいの奇跡にも感じてしまいます。
一方で、国務任務中とは言え、海保機では犠牲者は搭乗者の8割も出でおり、管制官、双方の飛行機にて自律的に回避できることはできなかったのか検証は必要と言えます。JALも経営的には、A350-900は保険は掛けていますが、決算等には多少なりとも影響が出てきそうであります。これから大変な2024年が予想されます。
また、今回の全損事故でA350シリーズは全損無事故なし機ではなくなりました。いまだに全損が起きていない飛行機は中大型機ではB787シリーズとA380シリーズとなっています。エアバス社が早々にフランスから飛んできているのも理解できます。
関係者の会見が早かった理由
事故から約3時間後には事故当事者たちは会見を行なっています。管制塔を司る航空局長、海上保安庁次長が出てきています。いずれも国家公務員であります。
そして、JALも常務執行役員が出で同じ場所で会見をしています。会見を始める前に国土交通省のバックパネルが誤解を受けないためかそれを隠すためのカーテンを閉めて会見を行なっています。事実はわかっているのに、国土交通省(海保と管制塔どちらにか不明ですが)に対して、霞ヶ関まで呼びつけておいて、国交相側の会見に憤りを感じているようにも見えてしまいました。
一方の国土交通省は原因がわかっているものの、ものが詰まったような言い方にも見えました。管制と海保を管轄する国土交通省の責任はかなり大きいと言えます。いまの時代、個人が色々事実を配信できるのであったことは素直に言ったほうが良いと言えます。
事故は本当に防げなかったのか
海保機側は5名も犠牲になっており、大事故であります。状況が明らかになってくると海保機が管制官の命令とは反して滑走路に侵入したことが端を発しているようでもあります。それに管制官が気づかなかったのか、JALは新型機故にヘッドアップディスプレーを活用し、日没から1時間も過ぎてかなり暗くなっていたこともあり、目視では限界があったのかと、はたまた、滑走路の設備が壊れていたのか、など気になるところはあります。
気づいてゴーアラウンドをするとなると品川方面にかなりの鋭角で上昇することを考えられますが、それほどの推力を確保できる状態にあったのか、ゴーアラウンドした際に他の航空機との接近を回避できるかなども想定されます。また、ゴーアラウンドの際に何かしらのダメージがあると今度は墜落のリスクもあり、今回がベストとは言い難いものの、回避不可という結果であったのかもしれません。
事故は往々にして各所のエラーが重なって発生するものであり、各所のどれかのエラーを潰せれば、命、経済的損失は防げたかもしれませんが、これからの調査で解明し、フィードバックされていくことを期待するところです。
多くの命を預かる仕事ではないものの、個人的にはかなりの経済的損失を伴う作業は、リカバーできるギリギリまで本当にOKなのか問いかけたり確認するものであります。
しかし、結果的に事故は起きてしまいましたが、民間人の避難に対して好条件が揃っていたことをすべて味方にして、民間人の犠牲者はゼロであったことは幸いではあります。
最後に
1982年にも大きな事故が連日続きました。1982年に2月8日に永田町のホテルニュージャパンで火災が起き、多くの方が犠牲になり、その翌日の2月9日に日本航空350便墜落事故が羽田空港滑走路手前で起きたことを想起しました。かなり幼少ながら映像は記憶にあります。また、82年は総理大臣も交代している年でもありました。
また、時間帯的に夕刻であり、地震報道が静かになりつつあるテレビのニュース速報のテロップでJAL機羽田空港でエンジン爆発と言う文字は季節は違いますが、お盆休み期間の38年前を想起して、震撼してしまいました。
結果的には、今回はA350-900の最新機材おかげなのか、JL123便の教訓でJALスタッフの訓練の積み重ねが結果なのか、事故の接触具合が奇跡だったのか不明ですが、民間機側の犠牲者が乗員含めて出なかったのは幸いであります。
ただ、羽田空港としては82年の羽田沖墜落事故、JALとしては123便事故に次ぐ大事故であります。海保機の機長のヒューマンエラーにて幕引きをはかるようにも見えますが、複数の要因をすべて解明しないとまた、同じことが起こりうるので、包み隠さず調べて欲しいところであります。起きたものは起きたものとして素直に解明することが絶対であります。
乗客視点で言うと、JAL A350-900のシートモニターから機外カメラの映像がみられたと思いますが、着陸の映像を見ていた乗客にはやばいと思った方もいるかもしれません。元日からすごい、2024年の始まりであります。