エストニアの首都であるタリンの街並みを過去に撮影してみましたので、お伝えします。
タリンとは
タリンはバルト三国のエストニアの首都であり、三国の中では最も北に位置する国の首都でもあります。北側にフィンランド湾があります。
写真は同都市の空港であるレナルト・メリ・タリン空港から離陸した際に撮影した写真ですが、ウレミステ湖とタリン港に挟まれた場所がタリン市街となります。
市街地の中心部は歴史地区がフェリー埠頭手前まで続いており、空港から市街地までの距離は近いのと反して、結構広い歴史地区となっています。
歴史地区を歩く
歴史地区は世界文化遺産に1997年に登録されており、入館料など不要で歴史を感じられる場所でもあります。
高層ビルが立ち並ぶ地区から歴史地区は歩いて行ける場所であります。その入り口はマーケットになっており、花屋さんだらけであります。
そして、ヴィル門をくぐると景色は一気に変わります。
ゲートから一番近くには見どころである市庁舎があります。ここは広場となっており、露天がたくさんあり、歴史地区では一番にぎやかな場所かもしれません。
このあと高台の景色の良いコフトウッツァ展望台を目指すものの、路地が多く、昇りは理解できても迷路のようです。途中には聖ニコラス教会があったりします。
そして昇っていくとエストニア最古の教会に遭遇します。
気になる銘板があったので、撮影してみます。同国有名人のようでありますが、俳優のようであります。57年とは濃厚な人生であったようです。
そして、いよいよコフトウッツァ展望台であります。記事冒頭の写真のように赤い屋根と尖塔が特徴的な景色がメインでありますが、他方を見ると森とその先には海があり、意外と住むと快適な場所であることも感じてしまいます。
展望台の真下に階段で降りることもできます。結構勾配はきついです。
麓には懐かしい顔があります。お酒飲みという印象がありますが、エストニア独立には寄与していたようです。
下に降りて、しばらく歩くと再び賑わいのある広場に出てきます。遠くに市庁舎が見えるものの、結構戻ってきた感じであります。
ここからフェリー埠頭側に足を進めます。聖オーラフ教会の尖塔がランドマークとなり、迷わずに進むことができます。
日本でも最近は目立つ電動キックボード、サイクルシェアリングのように並んでいます。日本のようにバックミラーやバックライトなどは装備されていませんでした。
さらに、しばらく歩くと三角屋根の三連の建物が見えてきます。この建物はザ スリー シスターズ ホテルであり、写真でもわかるようにかなりの歴史的なホテルであります。名前のとおり、三姉妹が並んでいます。
次は聖オーラフ教会の足元まで行ってみました。残念ながら改装中のためか、腹巻がまかれていました。尖頭部分だけでも歴史は感じられます。
そして、タリンの城壁に行きます。まずは、城壁内側から見ると堅牢なイメージが漂います。日本のお城の石垣にも劣らない精巧さも感じます。
城壁を外側から見ると全貌が良くわかります。洋の東西を問わず、人と人が奪い合う時代には大きな壁がもっとも効果的だったことを象徴しているかもしれません。
当時の国の施設は赤い屋根と白い壁で統一されていたのは特徴的かもしれません。
おすすめなヘリポート
世界遺産の歴史地区を一通り見て、海が見たくなり、海の方に行ってみます。
フェリー埠頭の近くには旧ソ連の遺構でもある施設があります。もともとは市民ホールとして利用されていたものの、民主化した後は使われず廃墟となっていますが、海に面した場所はヘリポートとして活用されています。
トラム乗り場からしばらく歩くとウクライナ・オデッサのポチョムキンの階段のような階段を上がります。ロッキーが駆け上がったフィラデルフィアの階段ぐらいの段数はあり、結構息が切れた記憶があります。
しばらく上がり続け、振り返ると、タリン市内の高層ビルが良く見えます。
また、近くには現在使用されていない工場の煙突もあります。旧市街の建物との調和が何とななく気になりますが、この煙突自体も近くで見ると結構歴史的な古さを感じます。
階段を昇り詰めるとその先には海の光景しか見えないようなとても見晴らしがい場所であります。北風のシーブリーズは冷たく、寒いくらいです。
実際は眼下にヘリポートが見えるのですが、視線を上げるとタリン港というかフィンランド湾が広がります。
ガイドブックには特に掲載はありませんでしたが、地元民らしき人が結構いたりして、ヨーロッパでもなかなかの景色であります。
最後に
エストニアというとIT先進国であり、最近デジタル庁が開庁した日本も参考にすることが多いかもしれません。
コンパクトでありながら、見どころが多く、意外と一日いっぱい観光できてしまうタリンは意外と穴場かもしれません。
個人的に気に入った場所を探してみるのもタリンらしいかもしれません。