
新千歳空港を飛び立ち、羽田へと向かう機窓から津軽海峡を眺めるたび、私はある壮大な「移動体」に思いを馳せます。雲の下、深い海の底には、人類が半世紀以上をかけて
築き上げた全長53.85kmの巨大な大動脈である「青函トンネル」が通っています。
現在、北海道新幹線は「札幌」という実質的な真のゴールを目指し、未曾有の困難と巨額の投資を伴いながら建設が進んでいます。しかし、その背景にあるのは、単なる「路線の延伸」ではありません。そこには、戦後の悲劇から立ち上がり、未来を先取りしすぎたエンジニアたちの執念と、現代社会が直面する過酷な経済的リアリティが交錯しています。
本日は、青函トンネルの誕生から、札幌延伸を巡る3.5兆円の衝撃、そして議論が加速する「第2トンネル構想」まで、言及してみたいと思います。
- 青函トンネルの誕生 悲劇から生まれた「世紀の難工事」
- 2038年度末への延期と「4時間の壁」
- 札幌延伸の衝撃 3.5兆円の巨費と「2038年度末」の現実
- 維持費と設備更改 海底トンネルを支える「国の財布」
- 未来の展望 「第2トンネル」と「貨物新幹線」
- 最後に
青函トンネルの誕生 悲劇から生まれた「世紀の難工事」
1954年、すべての始まり
青函トンネル建設の決定的な引き金となったのは、1954年(昭和29年)9月26日に発生した「洞爺丸事故」でした。台風による暴風雨の中、青函連絡船が転覆し、1,000人以上の尊い命が失われました。「天候に左右されない、安全な固定連絡路を」。この悲痛な叫びが、国家を動かしたのです。
1964年着工:新幹線を見据えた「オーバースペック」の謎
驚くべきは、トンネルの本格着工が1964年、つまり東海道新幹線が開業したその年であったことです。事故からわずか10年でこれほどの国家プロジェクトを本格着工させるというのは、現代の感覚からすれば驚異的なスピードと言えます。
当時はまだ東北新幹線すら影も形もない時代でしたが、先人たちは「いつか必ず、北海道に新幹線を走らせる」という強い確信を持っていました。当時の政治家たちにとって、過疎地への巨大なインフラ整備が権力の象徴であったという側面は否定できませんが、結果としてそこには凄まじい「熱量」が存在していたのでしょう。
その執念があったからこそ、青函トンネルは当初から「新幹線規格」で設計されました。
高速走行する新幹線が登れるよう、勾配は12パーミル(1,000mで12m上がる)以下に抑制され、カーブの半径も最小6,500mという緩やかな設計が採用されています。
このある種、強引とも言えるほどの「先見の明」があったからこそ、私たちは今、追加のトンネルを掘ることなく新幹線で海を渡れるのです。
まあ、利用者としては「もっとスピードを出してほしい」というのが正直なところではありますが。
28年間の「眠り」と、2016年の覚醒
1988年、青函トンネルはついに開通します。しかし、当初の目的であった「新幹線」はそこにはいませんでした。枕木だけは新幹線の標準軌にはしていたようですが。
海峡線としての28年間
新幹線の整備計画が政治的理由や財政難で停滞する中、トンネルは「津軽海峡線」として、特急「白鳥」や寝台特急「北斗星」「カシオペア」、そして物流の要である貨物列車を黙々と通し続けました。
中でも印象深いのは、1988年の開業とともに登場した快速「海峡」です。特急並みの転換クロスシートを備えながら、追加料金なしの乗車券のみで利用できたのは、旅人にとって非常にありがたい存在でした。青森から函館まで約2時間半という長丁場でしたが、海底トンネルを抜ける高揚感も相まって、その時間は決して長く感じませんでした。末期には「ドラえもん」とタイアップし、家族連れで賑わっていた光景も今では懐かしい思い出です。
2016年、新幹線の乗り入れ
着工から52年、トンネル開通から28年。2016年3月26日、ついにH5系・E5系新幹線が津軽海峡を越えました。それは、1964年の設計思想が半世紀の時を経てついに結実した、歴史的な瞬間でした。
新幹線が海を渡るという悲願は確かに達成されましたが、その感動とは裏腹に、実利用の面では依然として航空機が圧倒的な優勢を保っています。ANAダイヤモンド会員として頻繁に羽田〜新千歳(HND-CTS)を利用している立場から見ても、現状の所要時間とサービスレベルでは、空路の利便性を覆すには至っていないのが現実です。
2038年度末への延期と「4時間の壁」

共用走行のジレンマ なぜ新幹線は「本気」を出せないのか
しかし、開業して明らかになったのは、海底トンネルという特殊な環境ゆえの「制約」でした。
時速160kmの壁
東北新幹線が地上区間を時速320kmで疾走する中、青函トンネル内では一転して「時速160km」まで減速を強いられます。その理由は、同じ線路を走る「貨物列車」にあります。もし時速320kmの新幹線が時速100kmの貨物列車と狭いトンネル内ですれ違えば、強烈な衝撃波(風圧)が発生します。この風圧により、貨物列車のコンテナが破損したり、脱線したりするリスクがあるため、新幹線側が「遠慮」して速度を落としているのです。
三線軌条とメンテナンスの泥沼
青函トンネル内は、レールの幅が異なる新幹線(1,435mm)と在来線貨物(1,067mm)を同時に通すため、「三線軌条(レールが3本並ぶ)」という特殊な構造になっています。一挙両立で合理的と言えば合理的ですが、簡単に話が済むものではないようです。
これにより、分岐器(ポイント)の構造は極めて複雑になり、雪解け水や海水が染み出す過酷な環境下でのメンテナンス費用を押し上げています。
ただ、出来ることは進展中
以上のように、のしかかる課題も大きいですが、東京〜札幌間を「4時間の壁」へ近づけるため、ハード・ソフト両面で極限の速達化が進められています。
東北新幹線では盛岡〜新青森間の防音壁を補強し、最高時速を260kmから320kmへ引き上げる工事が進行中で、これだけで約5分の短縮を見込みます。これは2030年頃には実感できることでしょう。
加えて、福島駅で進められているアプローチ線の新設工事も「4時間の壁」突破に不可欠な要素です。現在は山形新幹線が本線を横切る「平面交差」がダイヤのボトルネックとなっていますが、これを解消することで本線のキャパシティが拡大し、東京〜札幌間を結ぶ超長距離列車の増便と安定運行が可能になります。遠く離れた福島の改良が、実は北の大地への到達時間を1分1秒削り出すための、重要な「布石」となっているのです。こちらも2030年前には体感できるでしょう。
さらに、次世代試験車両「ALFA-X」による時速360km運転のデータ収集や、建設中の道内の延伸区間自体を当初から時速320km対応とするなど、執念とも言える技術投入が続いています。
個人的には中小国から青函トンネルに入るまでと尻内信号所から木古内までの高速化について何かしないのかと言うところは気になります。
札幌延伸の衝撃 3.5兆円の巨費と「2038年度末」の現実
現在、新函館北斗から札幌までの延伸工事が進んでいますが、そのコストと工期が社会問題となっています。
膨らみ続ける事業費:3兆5,000億円の内訳
最新の試算では、札幌延伸の総事業費は約3兆4,500億〜3兆5,000億円に達すると見られています。当初計画(1.6兆円)から倍増した背景には、以下の要因があります。
⚠️ 事業費膨張の「3つの壁」
- 1. 資材・人件費の高騰
世界的なインフレの波と、建設業界全体の深刻な人手不足がコストを押し上げています。 - 2. 地質との戦い
羊蹄山付近などで発見された巨大な岩塊(ビッグボルダー)や、脆い地質への対策に多額の追加費用が必要となりました。 - 3. 札幌駅の構造変更
既存の駅舎や周辺環境への影響を最小限に抑えるため、ホーム位置の変更という苦渋の決断が下されました。
これは掘ってみないとわからない、先の経済状況はわからないというタイムマシーンでも乗らないとわからないところで致し方ないところでもあります。
一方で工事を請け負っている業者からするとインフレとは言え、赤字にならないように事業は進めるものであり、工期が長くなればなるほど、将来まで収入に困らないところもあります。
逆に言うと、税金が投入されているので、納期は短く造るというのも選択とも言えるところです。まあ、掘る選択肢が限られる渡島半島なので致し方ないのかもしれませんが。
工事の難航により、開業は当初の2030年度末から、現在は2038年度末(2039年春)へと大幅にずれ込む見通しです。新函館北斗以北の着工が開始されたのは2012年であり、このまま行くと工期は26年となってしまいます。
1964年に着工し、1988年に開業した青函トンネルよりも時間がかかると言う事であり、当時よりもはるかに技術も進み、DX化が進んでいてもこのような道をたどるのは不可解ですが、結局、国の経済成長と人口減少と言う結論なのかもしれません。
この延期は、地域の街づくり計画や、航空機からのシェア奪取を狙う「4時間の壁(東京〜札幌間)」達成の戦略に大きな影を落としています。
維持費と設備更改 海底トンネルを支える「国の財布」
青函トンネルは「造って終わり」と言うのが当たらないのが、老朽化が目立つ今は特に感じます。どこのインフラでも同様ですが、当たり前に使えるようにメンテナンスが必要であります。
年間50億円のランニングコスト
海底トンネルを維持するためには、24時間365日、染み出す海水をポンプで汲み上げ、空気を入れ替え続ける必要があります。この電気代と点検費だけで、年間約40〜50億円が消えていきます。このコストに対して莫大な利益が上がるのであれば、気にならないのですが、そうでもないと言うのが現状でもあります。負担感だけがのしかかります。
数千億円規模の「設備更改」
開業から35年以上が経過し、信号機や排水ポンプ、レールの老朽化が深刻です。これらを新しくするための「設備更改費」は今後数千億円にのぼると予測されており、JR北海道1社では負担しきれず、現在は国(鉄道・運輸機構)が直接支援する形に法改正されました。
この負担についても、税金が投入されることとなり、人口が減る中で直す必要があるのかと言う意見もあります。一方で国防にてミサイルを運ぶのに必要と言う意見もありますが、ミサイルがすり抜ける太さのトンネルなのかと言うのもあります。トンネル内に通信インフラがあるのでその価値はあるかもしれませんが。
未来の展望 「第2トンネル」と「貨物新幹線」
このまま「減速走行」を続けるのか、それとも抜本的な解決を図るのか。未来の選択肢が議論されています。
第2青函トンネル構想
既存のトンネルの横に、もう一本のトンネルを掘る構想です。役割分担としては、既存トンネルを新幹線専用、新トンネルを貨物・自動車専用にする方法です。
メリット: 新幹線の時速320km走行が可能になり、東京〜札幌間を4時間強で結べるようになる。また、自動運転トラックを通すことで物流危機(2024年問題)の解決策にもなる。物流量が増えるのは良く、どちらかのインフラがシステムエラーを起こしても耐久性はあると言えます。まあ、トンネル自体がダメになると共倒れとなりますが。
ただ、いずれにしても新たな箱モノを造るのは壮大なコストがかかると言えます。
貨物新幹線(パレット輸送)
貨物列車を丸ごと新幹線にするのではなく、新幹線の車両にパレット単位で荷物を積む「貨物新幹線」も有力な案です。これにより、既存の設備を活かした高速物流が可能になります。
ただ、この案は2010年代にはJR北海道が意気揚々と試作機を新造したりしましたが、同社の経営体力もあるのか、今は進展していないようであり、構想自体がなくなりそうでもあります。
現実的な運用方法
以上のように、何か新しいものを造るよりは、これまでの運用を磨き上げていくのが現実的と言えます。
その一つが「時間帯区分」は、貨物列車を待避させ、新幹線が本来の速度で走れる時間を設ける運用上の解決策です。現時点においても、年末年始には時速260km運転を実現していますが、時速360km化にはさらに長時間の貨物運休が不可欠です。
時間帯だけでなく、貨物列車の逃げ足を速したり、新幹線の加速性能を上げると言うのも考えられます。
しかし、北海道の物流の約4割を担う鉄道貨物を止めることは、農産物や宅配便の輸送に多大な経済的損失を与え、物流業界の強い反発を招く恐れがあるため、増便とのバランスが極めて難しい課題となっています。
最後に

北海道新幹線と青函トンネルを巡る議論は、常に「費用対効果」という厳しい目にさらされています。3.5兆円という金額は、確かに途方もない数字です。
しかし、かつて「無謀」と言われた青函トンネルの設計思想が、現在の新幹線走行を支えているように、今、下す決断が、100年後の日本の姿を決定づけます。
いみじくも、記事を公開した本日3月10日は「青函トンネルの本坑が貫通した日(1985年)」にあたります。1964年の着工から21年という歳月をかけ、本州と北海道が海の底でがっしりと握手を交わした、まさに歴史が動いた日でした。
あれから40年以上。貫通の瞬間に沸き立った当時のエンジニアたちは、40年後の現在にが「3.5兆円」という巨費を投じ、そのトンネルの先に広がる札幌への鉄路を、これほどまでに難航しながら切り拓いていると想像していたでしょうか。
困難の先にあるのは、単なる移動時間の短縮ではなく、新しい時代の幕開けです。いつか札幌駅のホームで、先人たちの執念が結実するその日を楽しみに待ちたいと思います。