
ステータス修行は悪なのか、それとも経済効果なのか考えてみましたので、お伝えします。
ステータス修行は悪なのか
先日、沖縄タイムスが報じた『「マイル(ステータス)修行」が離島住民の生活直撃「通院できない」』という記事があり、Yahooニュースでも配信され、コメントが多く書き込まれていました。
記事の内容としては、航空会社の上級会員資格(ステータス)を得るために、特定の路線を何度も往復する「ステータス修行」についてであり、その目的地として宮古ー多良間路線が選ばれ、修行者で座席が埋まることで、通院や仕事で飛行機を必要とする島民が予約困難に陥っているという内容です。場所と内容からJALの回数修行であります。
この記事の書き方的には、「生活に不可欠なインフラを趣味目的で占有するマイル修行者は迷惑だ」「航空会社は対策を講じるべきだ」といった、分かりやすい「善悪二元論」として書き立てることで、問題提起をしているのかなと感じました。
その背景には、地方の公共交通が抱える構造的なジレンマ、そして様々な立場の利害が複雑に絡み合う、根深い課題が存在します。 こうした議論を活性化させるための記事であることを信じたいところです。 さて、今回は問題提起としてとらえて、安易な解決策がもたらす「負の連鎖」や持続可能な共存への道筋などを考えてみました。
誰が「問題」なのか? 各ステークホルダーの立場

この問題を正しく理解するためには、まず登場人物それぞれの立場を理解してます。
ステータス修行者
彼らは航空会社が定めたルールの範囲内で、正規の運賃を支払って搭乗しています。その行為自体は合法であります。しかし、その行為が意図せずして島民の生活を脅かし、島に経済的な利益をもたらさない利用スタイルが、倫理的な批判や地域感情の反発を招いているようです。
島民
離島航路は通院や冠婚葬祭を支える「生存権」に関わる命綱であり、予約困難は生活基盤を直接脅かす深刻な死活問題です。 自らの税金が投入された補助金路線において、趣味目的の利用者に座席を奪われる現状に対し、強い不公平感と不信感を抱き、空港から出ない修行者は島に利益をもたらさない「通過客」に映っているようです。一方で、こうした利用者を積極的に取り込んで、経済を回せないかと考えている人もいるようです。
航空会社
マイレージプログラムは、顧客の利用を促進するための重要なマーケティング戦略であり、理由はどうあれ、空席を埋めてくれる修行者は収益源の一部であり、無下にはできません。一方で、公共交通機関として、特に補助金を受ける離島航路においては、地域社会への配慮という社会的責任も問われます。
自治体(納税者)
離島航路の維持に不可欠な補助金を税金から支出しています。その目的は、あくまで「島民の生活の足の確保」です。補助金が意図せず「マイル修行」を助長しているとすれば、税金の使途として適切かという問題に直面します。一方で自治体全域の住民から徴収した税金を特定の離島の補助金に捻出するという公平性というところの構造」という根深い問題を抱えています。
持続可能な共存への道筋は成り立つのか

対立や排除ではなく、異なる需要が「共存・共栄」できる仕組みを議論し、突き詰めていくこと、それこそがこの複雑な問題を解きほぐす鍵となります。単一の特効薬は存在せず、複数の施策を組み合わせる「合わせ技」を試行錯誤しながら、良い方向に向かうというのが解のようです。
例えば、島民の移動権を最優先に保障する「固定座席枠」を設け、マイル付与を排して安価に提供する「ライフライン運賃」や、修行者等の島外客向けに高単価な収益源とする「ビジネス・観光枠」を分ける運賃体系の複線化を導入するのもありかもしれません。
また、空港から出ない修行者を「通過客」ではなく「路線のスポンサー」と再定義して、航空券に島内消費オプションを付帯させることで地域経済への直接還元と引き換えにステータスポイントを付与する仕組みを構築して、迎え入れると言うのも一つとも言えます。
加えて、自治体からの補助金を単なる赤字補填から島民の座席確保率や経済波及効果の達成度に応じて上乗せする成功報酬型のインセンティブ制度へと転換することで、航空会社が自発的に利便性向上と採算性を両立させる提携を確立するとか色々とあります。
理想的にはこうした合わせ技で、感情的な善悪二元論を超えた持続可能な「三方良し」の共生モデルへと抜本的に再構築できるとみんなが幸せとなるのでしょう。
しかし、現状が何年も続いているところを考えると理想と現実に大きなギャップがあると言う事も事実なのでしょう。迷惑でありつつも、路線維持に貢献しているステータス修行者を100%根絶した先の未来を想像したくないようにも見えます。
離島は地方過疎の一つでもあるが違う点も

この問題は、人口減少や景気低迷に直面する過疎地域が抱える、構造的な課題の一つです。北海道では四半世紀以上前に鉄道が廃止され、代替として路線バスが導入されましたが、近年ではそのバスさえも維持できず廃止に追い込まれる事態となっています。
また、自治体や事業者の維持に対する姿勢は多様であり、名松線と津軽線の比較からはその温度差が垣間見えます。
陸続きの場所であれば、代替手段として道路が存在し、完全ではないにしても自家用車という選択肢があります。普及のスピードこそ遅すぎとも言えますが、自動運転技術なども解決の糸口になり得るでしょう。
しかし、離島においては空路の代替手段は航路しかありません。高度経済成長に合わせて構築された空港やリージョナルエアラインというインフラによって向上したQOL(生活の質)は、一度失われれば二度と元には戻らない、後戻りのできない状況にあるのが決定的な違いと言えます。
個人的には青組がメインで回数修行の経験はないため、実感に基づいた確実なことは言えません。しかし、書き進めているうちに、観光資源やインフラの脆さを抱える離島には近づかない方が良いと思えてきたのが正直なところです。
観光としては行くかもしれませんが、それでも島民の必要な一席を奪うと言うのであれば、その島の観光は諦めて、別のところに行くか、別なことや経験に消費をすることになるでしょう。どちらを選択しても、どちらかの結論が待ち構えています。
最後に

よく、こうした議論の中で出てくるのは不要不急な移動でステータスを得た者たちはラウンジや機内での素行が悪く、迷惑であり、そうしたもの排除のために、基準を引き上げ、もっと金でステータスを買う性質を強くすべきではという意見があります。
ステータス修行という、趣味なのか迷惑行為なのかわかりませんが、新たな層(僧)が増えれば、一定の割合がいるのも当然でしょう。 一方で新たな層が増えたことにより、設備投資への原資が増えたり、それまでの層が気づかなかったようなアイデアが新たなプロダクトに結びついたものもあると思っており、どっちが良いのですかね。
話は針路から逸脱しましたが、離島空席問題は誰かを悪者にしておけば気が済むものではないとステータス修行者としては思っていますが、しかし、スケープゴートにされている方が楽なのかとも思ってしまいました。 何とも複雑な心境です。