
「今年は乗ろう」そう思いながら先延ばしにしていたのは、沖縄から静岡へ戻ってきた際、どうしても静岡で一泊を余儀なくされるという旅程の組みづらさがあったからです。
しかし、終わりが告げられたとなれば話は別です。今回はこの路線の、そしておそらくはそう遠くない未来に姿を消すであろう機材の「乗り納め」もあわせて、旅に出ることにしました。
- 浜松駅、日常と非日常の境界線
- 坂道を登るバスと、北の記憶
- コンパクトな空港の、静かな止まり木
- 新千歳から遅れて来たB737-800
- プレミアムクラス弁当と時間のマジック
- 那覇の雨と、消えゆく航跡
- 最後に
浜松駅、日常と非日常の境界線

旅の起点となったのは、徳川家康公ゆかりの城下町であり、現代においては楽器と自動車の街として知られる浜松駅です。
一般的に静岡空港へのアクセスと言えば、静岡駅から発着する直行バスを利用するのが王道とされています。しかし、ここ浜松駅からのアクセスは少々頭を悩ませることになります。一応、予約制のリムジンタクシーという選択肢はあるものの、路線バスの直行便は存在していません。
結果として、まずは東海道本線の普通列車に揺られ、金谷(かなや)駅まで移動するという前哨戦が課せられることになります。
使い勝手が良かった時代の「青春18きっぷ」を手にしたことのある者にとって、東海道線の静岡区間というのは、ある種の「試練」の地として名高い場所です。どこまで行っても景色が変わらないロングシート、延々と続く各駅停車の旅。東京・名古屋・大阪という大都市圏を移動する際、この区間が一番「かったるい」と感じる人は少なくありません。時には新幹線を1区間だけ利用する、いわゆる「ワープ」という贅沢に手を染めたくなる誘惑とも戦わなくてはならなかったです。
しかし、今日の目的地は遥か彼方の沖縄です。そして金谷駅までの乗車時間はわずか40分ほどに過ぎません。
「これくらいは、旅の情緒として我慢しよう」
そう自分に言い聞かせ、私は浜松駅のホームへと向かいました。


発車までの短い時間、駅前を見渡してみます。浜松駅前を象徴する建造物と言えば、何と言っても「アクトタワー」です。天高くそびえ立つそのシャープなシルエットを目にするたび、私の脳裏にはかつての名作ドラマ『古畑任三郎』のロケ地としての記憶が鮮やかに蘇ります。
あのエピソードの犯人役を務めたのは、今やハリウッドを舞台に世界的な躍進を遂げている真田広之だったはずです。時の流れの早さを、ビルを見上げながらしみじみと感じずにはいられません。
現代の駅前風景の例に漏れず、浜松もまたアクトタワーの周辺には高層タワーマンションがいくつも林立しています。地方都市の主要駅前がタワマンで埋め尽くされていく光景には、一抹の均一化された寂しさを覚えないでもありませんが、それが時代の利便性というものなのでしょう。
駅構内に目を向けると、お洒落なカフェや寛げる飲食店が思いのほか充実していることに気づきます。この適度な都会感が、浜松の魅力かもしれません。名古屋ほどに人が溢れかえってゴミゴミしているわけではなく、かといって豊橋ほどにお店が少なくて時間を持て余すということもありません。大人が旅の途中にふっと一息つくには、実に行き届いた、ちょうどいい塩梅の街かもしれません。

平日の通勤・通学ラッシュをとうに過ぎた時間帯の列車は、拍子抜けするほどにガラガラでした。窓外に流れる遠州の穏やかな風景を眺めていると、ロングシートの座席であっても、40分という時間は退屈することなく、あっという間に過ぎ去っていきました。列車は静かにスピードを落とし、大井川鐵道への乗換駅でもある金谷駅へと滑り込みました。
坂道を登るバスと、北の記憶

金谷駅の改札を出ると、肌に触れる空気が心なしか駅前よりも少しひんやりとして感じられました。駅前の小ぢんまりとしたバス乗り場へと移動します。
しばらく待つと、定刻通りに1台のバスが姿を現しました。ここから富士山静岡空港までは、途中の停留所がないノンストップの直行便となっています。
運賃はワンコインの500円です。驚いたのは、地方の路線バスでありながらクレジットカードの「タッチ決済」に対応している点です。財布から小銭を探る煩わしさから解放されるこのシステムは、スマートな旅を好む大人にとって非常にありがたいものです。
バスに乗り込み、座席に身を委ねます。後日、クレジットカードの利用明細を確認したところ、そこには運営会社である地元のタクシー会社の名前が静かに刻まれていました。タクシー利用したかなと驚きますが、利用日と金額で安堵するのもまた一興です。

バスは金谷駅を出てすぐにエンジン音を響かせながら、急な坂道をグングンと上り始めました。富士山静岡空港は、牧之原台地という広大な「大地の上」に建設された空港です。そのため、アクセス手段はどうしてもこの急坂を登るルートになります。
車窓から見える景色がみるみるうちに低くなっていき、眼下に茶畑の緑が広がります。この、山を拓いた道を力強く登っていくバスの挙動を体感しているうちに、私の記憶の引き出しが突然、思いがけない場所へと繋がりました。
「この感覚は、小樽築港からキロロへとバスで向かった時のあの景色に似ている」と言った感じです。
コンパクトな空港の、静かな止まり木

金谷駅から揺られること約15分、バスはあっけなく富士山静岡空港のターミナルビル前に到着しました。
館内に一歩足を踏み入れると、思っていた以上の活気に包まれていました。どうやらソウル(仁川)行きの国際線フライトの出発時間が近いらしく、3階のフードコートは大きなスーツケースを持った旅行客や若者たちで大混雑を極めています。賑やかなのは喜ばしいことですが、これからプレミアムクラスでの優雅な空の旅を控えている身としては、もう少し落ち着いた空間に身を置きたいところです。
私は早々に混雑を逃れ、カードラウンジ「YOUR LOUNGE」へと足を向けました。手持ちのANAカードを提示し、受付を済ませて中へ入ります。
それにしても、人間の記憶というのは実に曖昧で調子がいいものです。空港ラウンジと言えば、関空にある「ラウンジNODOKA」などの印象が強かったせいでしょうか。あるいはここが「静岡」であるという先入観が働きすぎたせいか、私は自分の頭の中で、このラウンジの名前を勝手に静岡名物の炭焼きレストラン「さわやか」と勘違いしていたことに気づき受けてしまいました。もし本当にあのハンバーグの香りが漂うラウンジがあったなら、それはそれで面白い誘惑ではありますが。


時計を見れば、ちょうど昼前です。旅の始まりを祝してビールを一杯…といきたいところですが、これから飛行機に乗ることを考えると、ビールでお腹が張ってしまうのは避けたいものです。そこで、バーカウンターからウィスキーを少し分けてもらい、冷たい水割りを作ってみることにしました。
搭乗開始までは、およそ1時間ほどの待ち時間があります。静かで洗練されたラウンジのソファに深く腰掛け、琥珀色のグラスを傾けます。これこそが、大人の旅における「贅沢な時間潰し」と言いたいところですが、すぐに飲み干してしまい、フリードリンクを求めてしまいました。修行が足りないですね。


窓側の席に移動し、大きなガラス窓の向こうに広がるエプロン(駐機場)に目をやります。そこには、カラフルな機体で知られるフジドリームエアラインズ(FDA)の小型機や、韓国から飛来したエアプサンの機体が静かに羽を休めていました。
羽田空港のような巨大ハブ空港では埋もれてしまいがちな、エアバスA321neoのような小型機であっても、このコンパクトな静岡空港のスケール感の中では、驚くほど巨大で威風堂々としたものに見えるから不思議です。視覚の対比がもたらす、新鮮な驚きがそこにはありました。
新千歳から遅れて来たB737-800

那覇へと連れて行ってくれる翼が、ようやく姿を現しました。新千歳空港からの折り返し便となる、ボーイング737-800(B738)です。
北の大地での混雑や天候の影響があったのでしょう、定刻よりも30分ほど遅れての到着となりました。しかし、焦る必要はどこにもありません。この機体は、まさに今いるラウンジの真ん前のスポットに着岸するのです。
飛行機の遅れは、そのままラウンジでの滞在時間が延びることを意味します。窓の外で慌ただしく働くグランドハンドリングのスタッフたちの姿を眺めながら、もう少しのラウンジ滞在です。
出発のアナウンスが流れ、ラウンジを後にします。地方空港の最大のメリットは、その圧倒的な「導線の短さ」にあります。出発間際であっても、手荷物検査場には全く列ができておらず、数分で通過することができました。

ANAでは「富士山静岡空港で乗り継いで沖縄へ行こう!」というキャンペーンを行っており、「迷わない、疲れない」という謳い文句が躍っていますが、実際にこのコンパクトな館内を歩いてみると、その言葉に偽りがないことを身をもって実感いたします。巨大な空港で何百メートルも歩かされるストレスとは無縁の、実にスマートな移動がここにはあります。まあ、それも残りわずかですが。

機内へと進みます。今回もプレミアムポイント積算重視でプレミアムクラスを予約でした。案内された座席は、B737-800に長く採用されているお馴染みのシートでした。
「このシートの、ひとつ前の世代の座席って、一体どんなデザインだったでしょうか…」
そう思い出そうとしても、記憶の彼方に霞んで出てきません。それほどまでに長きにわたり、この機体の主役として設置され続けてきたシートなのです。
しかし、一歩機内に足を踏み入れた瞬間から、何かいつもと雰囲気が違うという違和感を覚えていました。

良く見渡してみると、客室の窓のシェード(日よけ)が、すべて綺麗に閉じられているのです。理由はおそらく、機内の温度管理でしょう。直射日光による熱線で機内の温度が上昇するのを防ぐためです。これにより、駐機中の空調の稼働を抑えることができ、補助動力装置(APU)や地上から接続されている電力の消費をセーブする、いわゆるエコ運用なのだと思います。
かつて、中米のメキシコシティからパナマシティまでコパ航空を利用した際にも、これと全く同じ光景に出会ったことを思い出します。日本の地方空港で、ふと中米の熱帯の空港の記憶がフラッシュバックするのですから、これだから旅はやめられません。


シートに深く腰掛け、目の前のシートテーブルを引き出してみます。やはりここにも、刻まれた歳月の跡(経年感)が見て取れました。ANAでも次世代のボーイング737MAX8の導入が進められている現在、このベテラン機B738は、真っ先に退役の途につく運命にあるのでしょう。

やがて飛行機は静かにゲートを離れ、滑走路へとタキシング(地上移動)を開始しました。窓を少し開けると、遠ざかっていく静岡空港のターミナルビルが見えます。その屋上に乱立する無数のアンテナや避雷針のシルエットを眺めていると、なぜか春の山に群生する「タラの芽」のように見えてきました。

離陸は「12」から。遠州灘の青い海に向かって一直線に突き抜けるルートです。過去に何度かこの空港を利用したことがありますが、振り返ってみれば、いずれもこちら側の滑走路からの離陸でした。どうやら相性が良いようです。

G(重力)が身体をシートに押し付け、機体はふわりと宙に浮きました。眼下には大井川の河口が独特な砂地を描いているのがハッキリと見えました。しかし、残念ながら本日も「富士山」はそのシャイな素顔を雲の向こうに隠したままでした。離陸して数分後、機体は白い雲海の中へと吸い込まれていきました。
プレミアムクラス弁当と時間のマジック

水平飛行に移り、シートベルト着用サインが消えると、お待ちかねの機内食の時間がやってきます。
本日のプレミアムクラスのメニューは、地方路線らしい工夫が凝らされた和食のボックス仕様でした。幹線(羽田―伊丹、福岡、那覇など)で提供されるような大皿の御膳ではないものの、コンパクトなボックスの中にギュッと詰め込まれた料理たちは、なかなかの彩りと洗練さを放っています。
昨日も飲んだようなワインを再び合わせてみます。すべてはプレミアムポイントなため、飽きてしまったプレミアムクラス弁当の代わりに、駅弁でも買っていき、機内でワインと合わせて食べても良いのですが、さすがに失礼かと思い、プレミアムクラス弁当を食べています。駅弁代はPP単価の下げ要因となるのでこれで良いですが。

羽田発那覇行き(HND-OKA)と、今回の静岡発那覇行き(FSZ-OKA)の飛行距離の差は、わずか「121マイル」に過ぎません。空の上の飛行時間だけで言えば、それほど大きな差はないように思えます。
しかし、決定的に違うのは「地上での移動時間」です。離陸でも着陸でもターミナル2のゲートまでの時間はかなりかかります。静岡空港はあっという間に離陸であり、着陸であります。
そうしたことから、フライト時間そのものはあっという間に過ぎていく感覚ですが、心に余裕があるせいでしょうか、食後に「ワインをもう1本、いただけますか」と微笑むだけの、優雅な時間がしっかりと残されていました。

窓の外は、台風の接近と梅雨前線の停滞が重なり、終始一面の「雲上の世界」が広がっています。上を見上げても、さらに薄い雲が広がっているようなパノラマです。それにもかかわらず、機内は不思議な明るさに満ちていました。雲が太陽の光を乱反射させる「レフ板効果」のおかげでしょう。外の世界はこれほどまでに白い輝きに満ちています。これぞ、大人の空の旅だけに許された特権的な景色でした。
那覇の雨と、消えゆく航跡

機体は次第に高度を下げ始め、着陸態勢へと入りました。
今回のフライトルートを後から振り返ってみると、非常に興味深いものでした。静岡を出発して遠州灘へ抜けた後、基本的には一直線に沖縄本島を目指すのが通常のルートです。
しかし、今回は奄美大島を過ぎたあたりから、針路をやや西へと傾けました。続く徳之島の南端からも、さらに西へ。結局、沖縄本島の遥か西側の海域まで大きく回り込み、着陸の直前になってようやく東へと機首を向けるという、大きな弧を描く変則的なルートをとりました。
おそらく、接近しつつある台風の外縁部がもたらす強い風の影響を避けたのか、グライダーのようにうまく利用したのかわかりませんが、リスク回避最優先は間違いないと思います。

機窓から見下ろすと、北側からのアプローチの末に、いつもの見慣れた那覇空港の沖合滑走路(第2滑走路)が近づいてきました。上空から見る限りでは、海の青さも少し残っており、比較的天候は保たれているように見えたのですが。

軽い衝撃とともに着陸し、誘導路へと入った瞬間、窓ガラスを激しい水滴が叩きつけました。かなりの雨脚です。
「〽 那覇は、今日も雨」
南国の歓迎は、あいにくのレイニーブルーでした。しかし、それもまた旅情というかマイル修行というものであります。

飛行機は速度を落とし、スポットへと向かいます。地方空港からの小型機(B737)ゆえ、ターミナルの端にある不便な小型機用エリアに回されるかと思いきや、案内されたのは羽田からの大型機(B777やB787)が並ぶ、一等地のメインエリアでした。
これには少し誇らしい気持ちになります。新千歳での出発こそ遅れたものの、フライト管理のおかげなのか、空の上では遅れさらに伸ばさずに、これ以上の遅延を見ることなく無事に到着となりました。
最後に
今回のANA1263便の旅。2026年夏ダイヤでの運休を控えた、まさに終わりの始まりに立ち会うようなフライトでした。PP単価という数字上の魅力に惹かれて選んだ路線ではありましたが、一度沖縄へ行ってしまうと、帰路に静岡での滞在(あるいはそこからの移動)というハードルがあるため、なかなか足が向かなかったのも事実です。
しかし、浜松のホテル滞在をトリガーとして、重い腰を上げて乗ってみれば、まあ、楽しい旅でもありました。
乗り納めとなるかはわかりませんが、夏ダイヤの終わりの10月24日までと4か月ですが、あっという間でもあり、最後かなと思っています。