鉄印の旅も終盤となり、いよいよ日本最大人口密集地の関東を制覇する時となり、弾丸でかつ、一筆でどう描くか実際に試してみました。
一筆の起点はやはり東京駅
東京駅は全国の起点でもあり、ここからスタートするのが関東制覇においても、仁義を切れるとも言えます。しかし、鉄道ではなく、ゴムタイヤからスタートします。
大多喜は千葉県にある町であり、いすみ鉄道の駅がある街でもあります。そして、鉄印がもらえる駅でもあります。
昔は千葉に行くとなると鉄道と言う前提でしたが、亡きハマコーのレガシーとも言えるアクアラインのおかげでずいぶん交通は変化しています。
千葉に行くには自家用車がなければ、レンタカー、運転ができなければバスの方が鉄道よりも便利であり、東京駅を中心として房総半島の各地点にバスが運行されています。
新コロ以前は成田空港と千葉の各町を結ぶ路線もあり、千葉県は意外とバス大国でもありました。
そうした中で、東京駅からいすみ鉄道のある大多喜までの直通バスはあり、それに乗車することに。
バスと言えば東京駅八重洲口ですが、大多喜行きはテントみたいな屋根のかかった方ではなく、その反対車線にあるので注意が必要です。
このバス停を出ると京橋料金所から首都高に乗り、フジテレビの牙城である地帯を通り抜け、アクアラインに潜ります。
アクアラインを渡った後はその橋の下で停車します。その後市原という地名が付くものの市原らしくない市原鶴舞バス停に停車となります。
同バスは勝浦までの路線であり、同地でトイレ休憩が遅延と関係なく実施されます。ここからは一般国道となり、大多喜までアクセスとなります。
千葉とは言え、結構な峠道をすり抜け、大多喜町に入ります。バスはいすみ鉄道の大多喜駅前に到着するわけではなく、国道沿いのショッピングセンター前に停車します。
いすみ鉄道の大多喜駅までは1.5kmほどの距離があります。バス停からは歩くこととなり、途中では大多喜城が見えたり、橋を渡ったりと旅情は結構あります。房総の小江戸と言うだけあり、景観はよく、インスタ映えするかもしれません。
大多喜駅で鉄印を受け、ホームに行きます。車両基地を兼ねていることもあり、構内は意外と広い場所でもあります。
いすみ鉄道は鉄路に乗らずに、バスでアクセスして鉄印をゲットしましたが、大原まではきちんと乗車しました。
大原から成田まで
次の鉄印目的地は鹿島臨海鉄道であり、鉄印をゲットできるのは大洗となります。水戸経由で攻めるのもありかと思いますが、鹿島臨海鉄道は制覇したいと思い、鹿島神宮方から攻めてみようと思いました。
大原から行こうとするとNRTの文字がちらつきます。八街経由もありますが、大原から成田方面となると外房線、蘇我経由としました。幸い土曜日と言うこともあり、新宿わかしおで、千葉までダイレクトに行けます。
その後はエアポート成田の快速がこんな時代でも粛々と運行されており、旧新東京国際空港までアクセスしています。
千葉駅のエキナカは充実しており、冷えたスパークリングワインもあり、それを購入し、とりあえず旧新東京国際空港に。
途中の送電線などは成田エクスプレス然りの光景であり、夕方も相まって、これから国際フライトだと感じた時代が懐かしいです。
成田駅でほとんどの人が下りてしまい、大丈夫かなと不安を感じつつも、成田空港まで行ってみました。改札後の検問的なチェックは今もなく、そのまま出発階に上がれます。成田空港駅には簡易式のホームドアが設置されていました。
癖なのかT1駅に降りましたが、今日滞在するホテルにはタクシーの距離が最も近いため、都合が良いと言えます。
T1出発階まで行ってみましたが、誰もいません。でも照明は煌々とたかれており、不思議であります。
ANAダイヤモンド特権のZカウンターは閉鎖となっていました。
このあと到着階まで下りて、タクシーの確保となります。ネットで見ているとタクシーで難儀がする人も多く、最悪、鉄路で成田駅に戻ることも想定しました。
しかし、タクシー乗り場にスタッフが常駐して降り、1分以内の待ちでタクシーに乗れ、ホテルまでアクセスでき、この日は終わりです。
二日目はタイトな乗り継ぎが続くものの実感のある旅程
二日目はホテルからのスタートとなります。ホテルのシャトルバスは成田駅に早朝向かうものはあるものの、他のホテルとコードシェアのため、時間がかかることも想定。
コストはかさむものの、ホテルから最短距離で時間のロスのない、久住駅に行くこととしました。
タクシードライバーからは久住駅に行く人は稀有と言われつつも、15分もかからず到着します。朝から高温かつ湿気でうんざりしつつも、ホームで待っていると都心のお古車両が入線します。
香取で乗り換え、鉄橋だらけ鹿島線を進むと鹿島神宮駅到着となります。
鹿島臨海鉄道
今回の目的No.2である鹿島臨海鉄道乗車となります。JR鹿島線との乗り継ぎは同一ホームでの乗り継ぎであります。
しかし、Suicaの退場のマシンはなく、乗り継ぎ時間もなく、どうするのかわかりませんが、そのまま鹿島臨海鉄道に乗り込むことに。
鹿島臨海鉄道の古いタイプの2両編成で大洗まで行くこととなります。途中、鹿島スタジアム、日本一長い駅名の「長者ヶ浜潮騒はまなす公園前駅」を通過していきます。
臨海鉄道という割に海は見えなく、大洗駅に到着します。鉄印は改札窓口ではなく、売店で記帳できます。
大洗駅は意外と設備が充実しており、構内トイレも清潔であり、感心したところでもあります。大洗から水戸までは同社では新しい車両での移動となります。
水戸から真岡まで
久住駅にて入場タッチしたSuicaの処理がされていないため、水戸駅の有人改札にてその旨を言うと、すんなり処理していたたぎ、水戸駅構外に出ることとなります。
朝10時前のためにオープンしている店舗がほとんどないため、あきらめて再びにホームに行くこととなます。
水戸線の車両は想像以上に新しく快適であります。常磐線区間は先行する列車が数分前に出発しているため、需要が裁かれているのか乗客が少ないまま、水戸線に進入です。
水戸線区間の駅は結構多く、景観は結構興味深いものでした。
真岡鉄道の乗り継ぎとなる下館駅では関東鉄道の乗り継ぎ客も多く、乗り継ぎの乗客は多いものの、真岡鉄道のホームに行く人は7人でした。かりそめの有人改札があり、そこで切符を購入して真岡鉄道に乗車でありました。
益子に行く人が圧倒的に多く、真岡で降りたのは3人でした。
真岡駅と言えばSLであり、隣接するSLキューロク館にはD51も展示されています。展示されているだけでなく、1日何回かちょっとだけ動くようです。
個人的にはSLに連結されたスハフ44の方が気になりました。函ハコ所属のようです。小学生になる前に乗車した記憶がうっすらとあったりします。
真岡駅の横には守鐡社という神社がありました。鉄道建設のために壊された祠の代わりに建設されたものです。
ちょっと異色なルートでわたらせ渓谷鉄道に
さて、次なる目的地はわたらせ渓谷鉄道ですが、来た道を戻るのが無難ですが、待ち時間は45分程あるため、20分程の待ちで来る石橋駅行きのバスに乗車します。
鬼怒川を渡り、ほぼオンタイムで進みますが、石橋駅近くになると信号が多くなり、結局4分の遅延で到着となりました。
ここからは宇都宮線で南下します。小山を目指すのが王道ですが、両毛線の非道な乗り継ぎ時間に愛想をつかして、快速の健脚ぶりも借りて、久喜まで南下します。
久喜からはりょうもう号の活用となります。東武鉄道はチケットレスで特急券が購入できるため、宇都宮線南下時に発券処理を済ませます。
りょうもう号はクラシックでありますが、人が少なく快適です。
途中、渡良瀬橋と奥に八雲神社が見えます。♪電車に揺られこの街まで~
複数の鉄道が入り組む桐生市内に入り、ダイレクトに相老駅に到着となります。ここで鉄印をいただき、今回の任務終了でなぜかホッとします。
一筆最終ルート
折角、わたらせ渓谷鉄道まで来たので、このまま相老駅から浅草に戻らず、桐生まで同線を利用することに。
桐生から高崎に向かうか小山に向かうかとなりますが、高崎は良いとしても小山での接続は悪く、高崎に向かう方が有力となります。
しかし、前橋まで北上し、高崎から新幹線となると距離が嵩みます。また、両毛線は昔から古い車両が多く、ロングシートであり、途中、前橋と高崎を結ぶため、結構混雑したりします。
そこで、利根川対岸の最短距離の本庄に向かうこととしてみました。両毛線は伊勢崎駅でおさらばし、6分後に発車する本庄駅行きのバスを利用します。
この路線はローカル路線バス系の番組では良く使われルートでもあります。
坂東大橋で利根川を渡り、本庄市となります。埼玉県だぴょーん
本庄市街地の交通量が多いため、8分程遅延して本庄駅北口に到着します。
ここから熊谷まで高崎線で南下して新幹線か、本庄駅で草津号を待って上野に行くルートが良さそうですが、本庄駅南口に行くと約5分待ちで寄居駅を通るバスがあります。
このバスは本庄早稲田駅を経由するため、そこから新幹線で東京に行く事に。
本庄駅から本庄早稲田駅までは7分であり、そんなに早く着くのかと思いましたが、直線的な道ができており、定刻どおりでした。
本庄早稲田駅では6分の乗り継ぎであさま号に接続となりました。新潟行きのE2系1000番台がゆるく通過していきます。
乗車後は東北新幹線の合流地点の伊奈あたりを通過します。眼下には埼玉新都市交通ニューシャトルが見えます。
そして、埼玉県の終わりにはちょっと前に上空から見た戸田のボートレース場を地上から見ることとなります。空に目を向けると飛行機が見えます。
最後は大手町が見え、文字通り一筆旅行の完了です。日没前に帰宅することが出来ました。
最後に
関東における鉄印は4か所でありますが、ある意味土地勘があるため、色々とルートが組み立てられ、時間が読みやすかったですが、それでも道中は結構、調べたりしたものでした。
本当はまだ、お日様も高かったので小諸まで行くことも画策したのですが、やめておきました。
それが正解であり、この日は夕方に軽井沢=佐久平間で北陸新幹線に飛んできたビニールハウスが衝突し、6時間立ち往生という事故が起きており、行っていたら巻き込まれていたことでしょう。
次は最大の難所の中部地区であり、土地勘がないため、いまからルート妄想が楽しみです。